キレイ過ぎたり、理想が高すぎるものは誰も守れない!ブラジル憲法と、遵法精神の低いブラジル人!
左に偏りすぎると(理想論ばかりだと)、ロクでもないことになる、という記事の紹介。
日本国憲法9条にも通じる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170110-00010002-nikkey-s_ame
《ブラジル》理想主義すぎるブラジル憲法と、遵法精神の少ない民
ニッケイ新聞 1/10(火) 22:16配信
古杉征己さん(42、広島県三原市)はブラジルで弁護士試験が始まってから、おそらく初の日本人合格者だ。一見、控えめな感じだが、内には強い意志と燃え盛る志を秘めている。
苦節十年で弁護士試験に合格した感想を訊くと、まず「苦労しました」と前置きしつつも、「こんなに格差が激しく、汚職と犯罪が蔓延し、法律と現実の乖離もひどい中で、正義とは一体何か、といった、日本にいたら到底思いつかなかっただろうことを考える機会になったのは大きな収穫です」と答えた。凄いことをしているのに淡々としているところが、実に彼らしい。
ブラジルの憲法や法律に関する印象を尋ねると、「他国に誇れる素晴らしい内容ですが、逆に言えば、現実からかけ離れていて、理想が高すぎると思いますね」とバッサリ。「ブラジルは国土が大きすぎて、同じ法律をアマゾンの奥地住民からサンパウロの様な大都市住民にまで適用するのは難しい」と分析する。
コラム子も常々、88年憲法は現実離れした「理想主義憲法」だと思ってきたので、彼の言葉に膝を叩いた。たとえばPT政権が始めた「低所得者向け住宅配給政策」では、ただ同然の値段で膨大な住宅を貧困層に与えていた。その法的根拠は「すべての国民には住居を持つ権利がある」うんぬんの条文が憲法にあるからとの話を聞いた。
憲法ですべての国民に住居を保障するのは大いにけっこうだが、そのお金はどこから湧いてくるのか。この国では、政治家に強い影響力を持つ富裕層と、金のない貧困層は税金をあまり払わない。中産階級ばかりが汗水たらして税金を払う。その税金が財源となり、国民の権利だから当然のものとして貧困層は家を受け取る。最も税金を払う中産階級は、高額な住宅を30年ローンで買うしかない。
憲法があまりに理想主義的なのは、ブラジル近代史に「独裁政権」の時代が長すぎたからだと思えてならない。国民の政治参加が許されなかった時代の揺り返しで、「国民の権利をしっかりと憲法に盛り込んで保障すべき」という気持ちが憲法制定時に入りすぎ、結果的に「過剰に権利を守りすぎて、実行できないレベルまで行ってしまった」気がする。
1トストンも払わず無料医療を受けられるSUS制度しかり。「全ての国民は健康に暮らす権利がある」うんぬんが憲法で保障されているから始められた制度だと聞いた。だが、現実にはSUS病院に貧困層が殺到するあまり、診察を受けるのに数カ月、レントゲンを撮るのに半年、手術は数年待ちなどの現実がある。その間に国民は病気が悪化し、酷い場合には死んでいるのが現実だ。
文化イベントしかり。この国には「無料」=「民主的」という考え方が強すぎる。物事を行うには経費がかかる。理想主義的な理念を盾にして無料化しても、ひずみは本人に戻って来る。それなら「必要最低限の経費は利用者本人が負担し、その代わりに、しっかりとした運用を国が保障する」方が国民には良いと思えてならない。
法律は「作ったらお終い」ではない。難しいのは「守らせること」であって、そこへの努力が圧倒的に足りない。たとえば、レイ・セッカ(飲酒運転禁止法)は90年代に制定されたが、実際に道路警察が頻繁に検問をするようになったのは今世紀に入ってから。それまで誰も守らなかった。法律だけが立派で、守らせる努力が足りない――その積み重ねが国民の遵法精神の少なさに繋がっている。
古杉さんは、そんなブラジルの現実を良く分かっていて弁護士になり、「企業のコンプライアンスの仕事をやりたい」と言っている。賄賂や汚職が文化として根付いているこの国で、世界基準のビジネスをやろうとする日本企業は、みな理想と現実の差に困っている。ぜひ彼のような可能性を秘めた人材に実務経験の場を与え、一回りも二回りも大きく育ててくれる企業が現れてほしい。
深沢正雪
※ 赤字・太字は、管理人による。
今回は、特にコメントなし。
日本人として、日本で生まれ育ったことに、感謝するばかりだ。
これは、先人たちの血と汗と涙の結晶。
決して、タダではないのだ。
日本バッシングばかりする反日勢力は、本当に意味が分からない。
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商品の説明
内容紹介
NHK教育テレビで平成23年10月に、4回にわたって放送された番組「さかのぼり日本史」をもとに作った単行本「NHKさかのぼり日本史 6 江戸 ”天下泰平”の礎」の文庫化です。落とした財布が世界で一番もどってくる日本。自動販売機が盗まれない日本。テラシーが高い日本人――これは明らかに「徳川の平和」のなかでできあがったものだと磯田さんは断言しています。
では、なぜこの国の素地は江戸時代に出来上がったのか。4つのターニングポイントを挙げ読み解いていきます。
ひとつは、1637年の島原の乱。島原の乱によって武力で抑えるだけが政治ではない、「愛民思想」が芽生え、武家政治を大転換しました。
ふたつめは、1707年の宝永地震。新田開発のために環境破壊が進み、結局は自然からしっぺ返しを受けることを学びました。その教訓から、豊かな成熟した農村社会へと転換していきました。
3つめは、1783年の天明の飢饉。天候不順が続き、各地で凶作が続くと、商業に興味が向き、農村を捨てて都市へ流れ込む人口が急増。その結果、農村は後荒廃し深刻な事態を招きました。そこで人民を救うという思想に基づいた行政が生まれていきました。
4つめは、1806年~1807年、11代将軍家斉の時代に起こった露寇事件。ロシア軍艦が突如、樺太南部の松前藩の施設を襲撃、ことごとく焼き払いました。翌年4月にもロシア軍艦二隻が択捉島に出現し、幕府の警備施設を襲撃しました。二度にわたるロシアの襲撃事件は、幕府に大きな衝撃を与え、結果的に開国か鎖国下の議論を活発化させ、国防体制を強化させていきました。この事件をきっかけに「民の生命と財産を維持する」という価値観と「民を守る」という政治意識がつくりあげられていた確立されました。
こうやって日本は、徳川の幕藩体制によって先進国化していったのです。新しい視点で江戸時代をながめることのできる内容です。
内容(「BOOK」データベースより)
江戸時代には、内乱、自然災害、侵略など数々の危機があった。にもかかわらず、なぜ平和は保たれたのか。そこには、血生ぐさい戦国の風潮から脱し、民を慈しみ、人命を尊重する国家へと転換していった為政者たちの姿があった。“徳川の平和”がもたらした大いなる遺産を、4つの歴史的事件から時代をさかのぼって解説する。