被害者ぶっているが、実は傲慢な「ハーフ」(朝日新聞の蓮舫さん擁護記事)
蓮舫さん擁護の一環だろう。
この「被害者」意識丸出しがイヤだ。
そして、朝日新聞や、リベラルを称する連中の手法として、すぐに「子供」や若い「女性」を、ピックアップする。
読者の「同情を引き出しやすい」と考えてのことだろう。
たまには、年配の「男性」を出してはどうか?(笑)
今日紹介する記事は、ツッコミどころが満載なので、記事を引用しつつ、すぐコメント(青字)をする形にする。
以下、引用する全ての記事における赤字・太字は、管理人による。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161120-00000001-withnews-sci
「純粋な日本人」って何? 「ハーフ」でアイドル西田藍さんの問い 大反響のブログ、現在の思いは?
withnews 11/22(火) 7:00配信
父親が米国人で、母親が日本人であるアイドルでライターの西田藍さん(25)は、自身がいわゆる「ハーフ」であることの悩みをブログに書きました。きっかけは、民進党代表の蓮舫議員が日本と台湾の二つの国籍を持っていると批判された問題でした。「『純粋な日本人』にはどんなになりたくてもなれない」との思いで書いたブログは大きな反響を呼びました。国籍はあるけど、日本人にはなれないってどういうことですか? 西田さんに聞きました。(朝日新聞国際報道部・高久潤)
(リンク省略)
国籍離脱騒動「あのときと同じかな」
蓮舫さんが国籍で批判されたとき、何が問題なのかわかりませんでした。もちろん、国籍離脱の手続きの不備や説明がおかしい、といったことが批判されていることはわかりました。
でも本人は繰り返し、「私は日本人だ」と言っていた。他の国籍の離脱ができてないのかもしれないけど、日本の国籍があって、しかも本人が「日本人でありたい」と言ってるのに責められる。
よくわからないなあと思っていた。そんなとき、「あっ」て思ったんです。自分が子どものころ、同級生に「国へ帰れ」と言われ、私が「自分は日本人だ」と何度も何度も言っていた。あのときと同じかなと。
記事の最後「あのときと同じかな」って、それは全然違う(笑)
そんな、小さい話ではない。
西田さんは25歳。子供でもないのに、何が分からないのか?
西田さんのような「一般人」と、「国会議員で、野党第一党の党首」は、絶対に違う。
単なる1個人と、日本国民1億2千万人の生命・財産を預かる可能性のある人物が、同じか?
管理人は、ひっくり返りそうだ(笑)
蓮舫さんは、そのような立場にありながら、法律違反をし、ウソの説明を繰り返していたことが問題なのだ。
それから、お人よし「日本人」は知らないかもしれないが、外国と日本は、本当に文化が全く違う。
「ウソをつかないと、ヒドイことになってしまう」という国、「ウソをつくことが生きる知恵」という国は、多々あるのだ。
そういう国で生まれ育った人は、本当に、平気でウソをつく。
これは、厳然たる事実だ。
記事の続き。
「愛国的な日本人だ」と思っていた
私は子ども時から日本文学が大好きで、伝統文化にも興味がありました。日本のことが大好きだし、「誇り高く、愛国的な日本人だ」と思っていた。
国籍はもちろん、日本生まれ、日本育ち。違うのは髪や肌の色といった外見くらい。
小さいころは白人の父親の特徴が今より目立っていて、中学の卒業アルバムの個人写真では卒業アルバムの写真は髪が真っ黒に修正されていたことがあります。でもそんなことが重要だと思っていなかった。
「日本人か否かは誰が決めるの?」
アイデンティティクライシスに陥ったのは中学生の時です。私は1991年生まれ。日本の国籍法は85年に改正されたのですが、それ以前は父親が日本人じゃないと、日本国籍は取れなかったことを知ります。
まず、記事の最後の「取れなかった」という言い方は、おかしい。
確かに、日本国籍を持たずに生まれてくることになったが、母が日本人だったら、有利な条件で帰化し、日本国籍は取れた。
もう一点。
1970年代ごろまで、他の歴史の長い国(移民国家ではない)でも、似たような状況であった(父親の国籍によって、子の国籍が決まる)。
各国とも、徐々に法改正をしているような状態であり、日本だけ特有の話ではない。
それに、今でもイスラム法の国は、おおむね、父の国籍によって、子供の国籍が決まる。
これが、いわゆるメディアのご都合主義だ。
都合のいい時だけ「外国では~」といって、日本バッシングをする。
しかも、その「外国」は、たいてい、ヨーロッパ各国だ。
日本は、何でもかんでも、ヨーロッパ各国と、同じにしないといけないのか?
外国も、日本と同じだったり、もっと悪かったりすると、その事実を伝えない。
アメリカ大統領選の時の、偏向報道と同じ。
やれやれだ。
記事の続き。
生まれる時期がちょっとずれていたら、日本人じゃなかった。これは衝撃的でした。私が日本人だと思っていようと、周囲には容姿で日本人じゃないと言われ、しかもタイミングが違えば法的にも日本人ではなかった。
では日本人か否かは誰が決めるのだろう。
基本的に、「日本人」と言うとき、民族的意味か、国籍的(法的)意味しかない。
「日本人か否かは誰が決めるのだろう」と言われても、その時々の文脈(状況)で決まる、としか言いようがない。
民族と国籍については、前に軽く記事にした。ただ、記事のほとんどの内容は、別の内容になってしまったが・・・(汗)
imin-nanmin-gaikokujin.hatenablog.jp
今回の西田さんは、日本国籍があるが、ちょっと似ている例として、日本国籍がない人について。
例えば、両親が外国人で、その子供が、日本で生まれ育ったパターン。
在日朝鮮・韓国人や、日本で生まれ育った中国人などは、意外と多く存在する。
ただ、身近にいるのに、気づかない場合も多い。
そういう人たちは、通称名(日本風の別名)を使っていることが多いから。
こういう人たちは、なんというか、いろいろと「難しい」ことが多い。
自分たちは、潜在的に「日本人」だと思っているフシがあるようだが、本当は外国人なので、在留カードの所持等の義務がある。
どうも、そういうことが嫌らしいく、これに触れざるを得ないときでも、不機嫌になる。
やれやれ。
これは、本人たちが、勝手に勘違いしているだけだ。
別に、同情するとか、そういう話でもない。自分の国籍に、誇りを持てばいいだけ。
どうしても自分の国籍が嫌なら、20歳になって、日本に帰化すればいいだけ。
記事の続き。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161120-00000001-withnews-sci&p=2
「そちら側には含まれない私」
国籍はあっても常に「ハーフ」として日本の社会で扱われます。それが悪いと言っているわけじゃない。
実際私は白人の「ハーフ」という、とても恵まれた「ハーフ」です。うらやましいと言われ、実際嫌な経験の数も少ない。私自身仕事でその外見を利用しているわけですし、その自覚もある。
でも結局日本人とは誰かを決める側の日本人、それを大衆と呼ぶのか、日本社会と呼ぶのかわからないですが、そちら側には含まれない。
どんなに私が日本人でありたいと望んでも、入れてもらえない。私にとって「純粋な日本人」とは、なりたくてもなれない存在だという意味で、ブログのタイトルは「幻想のなかの日本人」にしました。
自分で「白人の「ハーフ」という、とても恵まれた「ハーフ」」と言ってしまっている・・・。
他の人種との「ハーフ」は、何かヒドイのか?(笑)
何だかんだ言いつつ、思想が透けて見える(笑)
しかも、「仕事でその外見を利用している」んでしょ?
本当に、何を言ってるんだという感じ。
それなのに「どんなに私が日本人でありたいと望んでも、入れてもらえない」って、傲慢な言い方だ。
それに、国籍的「日本人」として、法的な面では、間違いなく完全に受け入れられている。
逆に、どこが受け入れられていないのか、教えてほしい。
そもそも、見た目が「違う」部分は、しょうがない。
どうしようもないではないか。
完全なアジア人である管理人が、黒人しかいない国に行っても、黒人になれるわけではない。
人種的にアジア人であることは、変えようがない。そういうこと。
記事の続き。
「実はただの幻想の問題」
ただ、こうも思います。私のみならず、誰にとっても「純粋な日本人」ってなることができない存在なのではないかって。
外見や言葉、そして国籍が日本だとしても、日本の場合なんとなく出自というものを気にしますよね。私が外見、言葉、国籍が完全に日本人ぽくても、出自が日本ではないとなると、なんとなく日本人じゃない。
でも自分の出自なんて本当にさかのぼって知っている人なんていないし、調べようがないとおもう。血統の問題にみえて、実はただの幻想の問題。実は国籍の問題って、単に国籍の有無の問題なんじゃなくて、この幻想の問題なんだと。
言っている意味が、よく分からない(笑)
日本は、歴史的に記録が残っている頃(1500年くらい前)からは、人間の入れ替わりはない。
ただ、朝鮮半島などから、何百万人かが加わったり・・・という程度だ。
記事の続き。
何かはっきりした根拠があるわけじゃないのに、内側にいれてくれなかったり、外側に締め出したりしてしまう。線引きも内側の人が決め、それが差別につながる。
どうすればいいかはわからない。でもそれって本当に怖いと思うんです。
◇
西田藍(にしだ・あい) 91年生まれ。オーディション「ミスiD2013」で入賞。雑誌などで書評やコラムを執筆。
「根拠があるわけじゃない」と言っているが、根拠はある。
国籍法という法律があるのだから、それに基づく「区別」は、厳然としてある。当たり前だ。
前から何度も書いているが、「差別」と「区別」は違う。これは、日本国憲法でも同じ考え方。
例として、海外に行ったときに、外国人の入国手続は、どこの国にもあるだろう。それで、「差別」されたと思うか?
それから、国籍的「日本人」の税金を、外国人に対して、無制限に使うのか?
また、外国人が、日本の国のことを、何でも決めるのか?それは、外国人に、占領されているだけだ。
これらを「差別」というのか?
☆☆☆
結局、この記事で、彼女が言っているのは、主に、民族や人種としての日本人・・・要するに「見た目」だ。
まあ、年齢的なこともあり、おそらく法的なことは、無関心に近いのではないか。
「見た目」で、違った扱いを受けるかも・・・ということなのだろうが、「見た目」が違うのは、異なる人種の血が入っているのだから、しょうがない。
それは、多少、甘受しながら生きるしかない。法に触れたり、道徳的に良くないことはダメだが、完璧になくすことは難しいだろう。
いずれにせよ、「差別」、「恐い」と騒ぎ立てる朝日新聞のいつものやり方だ。
いいかげんにした方がいい。
ところで、西田さんは、二重国籍者として生まれてきているはずだが、「国籍選択の義務」の履行を、しているのだろうか。