小中学生相手の「慰安婦教育」は、単なる「反日教育」!韓国人男による日本人女性へのレイプが増加する恐れ!
おそらく、何年後かには、慰安婦教育を受けた韓国人男が、日本人女性をレイプする事件が多発しそうである。
以下、赤字・太字は管理人による。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/08150640/?all=1
増え続ける韓国「慰安婦像」ショット集 ついに「教育」と「記念日」も
韓国・北朝鮮週刊新潮 2018年8月9日号掲載
左から慰安婦像設置場所を示す韓国地図、【1】ソウル:2011年建立の、おそらく最初の像。眼の前は日本大使館(他の写真を見る)
この7月から韓国のソウルで、小学5、6年生と中学生を対象に「日本軍慰安婦歴史教育」なるものが始まっている。「日本軍慰安婦は性奴隷」で「昼夜を問わず性暴力を受けていた」などと放課後の時間に教える、まさに“小中学生相手にそれ言うか”といった内容だが、日本にとって頭痛のタネはこれだけにとどまらない。
【2】仁川:向こうに見えるのは強制徴用工の像とレリーフ。これも反日の象徴(他の写真を見る)
2011年に在ソウル日本大使館前に設置され、日韓問題に発展した少女像(写真1)。これが増加の一途を辿っている。多くは台座付きの立派なつくりで、人目につきやすい場所に堂々と……。
元時事通信社ソウル特派員の評論家、室谷克実氏が言うには、
「1体設置するのに、ざっと500万円ほどかかると聞きました。有志が募金で集めるのですが、声をかけられれば金を出さないわけにいかない、半ば強制的な募金。日本大使館前に像を据えた左派団体系の市民や学生らが主導するケースが多いようです」
左から【3】水原:市はドイツの姉妹都市に像を寄贈しようとして断られた。【4】群山:韓国で唯一残る日本式建築の寺「東国寺」の境内に置かれて。【5】全州:豊南門ロータリーの中央にある。行き交う人や車からの視界に入る(他の写真を見る)
鎮座するのはいずれも一等地だが、
「自治体としても“ここに置け”という彼らの求めを拒否できません。首長にしてみれば、断ると次の選挙で落とされるおそれがありますから。像に対して“公共造形物”の指定が下りれば、維持管理費も公的負担となります」
文在寅政権下で像の数は増え続け、いまでは韓国国内でゆうに100体は超えるというのだ。
左から【6】木浦:かつての日本領事館の建物の真正面に……。もちろん意図的。【7】江陵:3・1運動万歳記念公園のモニュメントを眺めるポジション。【9】統営:従軍慰安婦追悼の石碑。通称「正義の碑」。除幕式は2013年(他の写真を見る)
そして今年から8月14日は「慰安婦被害者をたたえる日」という記念日になる。1991年、1人の女性が初めて元慰安婦だと自ら名乗りをあげたのが、この日だったことにちなむらしい。
「もはや慰安婦というのは韓国人にとって右も左もない、国の宗教のような位置づけ。その前では学術的批判すら無効となる、ご本尊さまなんです」
【8】大邱:冬に撮影したカット。誰かが帽子とマフラーとブランケットを(他の写真を見る)
未来志向をうたった「日韓合意」の精神は遠のくばかりだ。
早く、韓国を敵国認定しておかないと、危険である。
そもそも、韓国は、反日教育がヒドイ。
この慰安婦問題についても、朝鮮戦争の際の米軍慰安婦について、何も言わないのが、反日教育であることの証拠である。
だいたい、今でも現代版慰安婦が存在するのに、朝鮮人とは、バカな民族である。
韓国は、性輸出産業大国なのである。
日本には約5万人、全世界で約10万人の韓国人売春婦がいるとされている。
過去記事を2つ。
imin-nanmin-gaikokujin.hatenablog.jp
imin-nanmin-gaikokujin.hatenablog.jp
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朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実―文化人類学者が読み解く『慰安所日記』
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商品の説明
内容紹介
国家基本問題研究所
第五回「国基研日本研究 特別賞」受賞作本当に「強制連行」「性奴隷」はあったのか!?
「悪魔の証明」といわれた難問に終止符を打つ
第一級史料から紐解いた著者渾身の書き下ろし!韓国で日本軍による朝鮮人女性強制連行の決定的資料とされた
『日本軍慰安所管理人の日記』の原典にあたり、その記述と内容を精査。
慰安婦から見る慰安業は、営業、商売であった。
つまり、売春業の出稼ぎであった。
朴氏の日記では、彼女たちがどう募集に応じてきたか、
いわゆる「強制連行」されてきたのかについては、一切言及されていない。
この日記には、そうした「強制連行」に繋がるような言葉すらない。
性的被害をもって問題とすることは、どの国、どの民族でも可能だ。
それは、性が人間にとって普遍的なものであり、人間の生存にかかわる問題であり、恥と人権にかかわることだからである。
韓国が、セックスや貞操への倫理から相手を非難することは、
韓国自身のことを語ることに繋がっている。
つまり、それを詳しく論じることは、いつか必ず本人に戻るブーメランのようなものなのである。
ただちに中止すべきであると言いたい。(本文より)
出版社からのコメント
著者の崔教授が研究の対象にしているのは、戦時中、日本軍占領地
(ビルマ、シンガポール)で慰安所の帳場人をしていた朝鮮人、
朴氏が残した日記である。この日記は、『日本軍慰安所管理人の日記』と
いうタイトルで韓国で出版され、日本軍による朝鮮人女性強制連行の
決定的資料だとされている。崔教授は戦後のバイアスのかかっていない日記原本にあたり、
朴氏の足跡を尋ねて現地調査も行っている。
崔教授のスタンスは明確だ。日韓の政治的な立場から意識して離れ、
あくまで学術的に、日記から客観的な情報を、可能な限り引き出そうと
いうものである。
引き出された情報は慰安婦に関するものにとどまらない。
崔教授は「日本植民地時代の朝鮮人の生活史を知る上で貴重なもの」とも述べている。この日記を精読した崔教授によれば、
「そうした慰安婦の連行などに関する記述は一切ない」
「『強制連行』に繋がるような言葉すらない」ということであった。
そして、この日記が強制連行の証拠だという主張に対して、親日の日記を
反日に利用するのは矛盾している、と指摘している。本書では「朝鮮人たちは当時、中国や東南アジアなどの日本軍占領地や前線地域で、食堂や慰安所などの商売を営んでいた。当地において朝鮮人は、ビルマ、シンガポール、インドネシアの東ティモールやスマトラ、マレーシア、タイ、ボルネオなどに広くネットワークを持っており、慰安業以外にも食堂、料理屋、餅屋、製菓所、豆腐屋、製油工場、写真館などを経営していた」という点も指摘されている。
日記には、このような日本軍占領地でのバイタリティあふれる朝鮮人事業主たちの経済活動が、随所に描かれている。慰安所の経営も彼らの事業の一つであった。
(“性奴隷"を日本叩きの道具にする人達にとって不都合なことに、この日記に登場する慰安所の経営者は皆朝鮮人である)。この日記を書いた朴氏は、遠く離れた異国の地から、東方宮城に向かって遥拝し、慰安婦とともに開戦記念式に参加して皇軍の武運長久、戦没将兵の冥福を祈る、典型的な大日本帝国臣民であった。
崔教授は「日記全体の文脈からは、彼が日本の帝国主義に不満を持ち、
母国の独立を願う気持ちを持っていたとは、とうてい思えない」と述べている。
この日記には性奴隷はおろか、「虐げられた朝鮮人」の姿も見られないのである。著者は韓国でタブーとされている米軍慰安婦について述べ、韓国メディアから容赦ないバッシングを受けた。だが、そんな圧力に屈することなく、本書でも学者として客観的な姿勢を貫いている。