ボクシングの山根氏は、戦後、密入国(不法入国)を繰り返した元韓国人!ああ、やっぱり。
ボクシング界は、ヤクザ(ヒモ)と朝鮮人の巣窟か?
救いようがない。
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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180815-00547154-shincho-fight
ボクシング連盟「山根明」氏が明かす半生 韓国から密航、息子との極貧生活…
8/15(水) 8:00配信 デイリー新潮
波乱の半生を明かした山根明氏
助成金流用などの問題を受け、日本ボクシング連盟会長の座を退いた山根明氏(78)。その強烈なキャラクターで世上を大いにザワつかせた彼はどこで生まれ、如何なる人生を歩んで来たのか。辞任前の5日、山根会長は「週刊新潮」のインタビューに応じ、謎に包まれてきたその「空白期間」を明かした。この時は“会長を辞めるつもりはない”と語ったが――。
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僕がテレビに出て喋ったのは、「過去をばらす」と脅迫されたからです。脅迫の中身は、「お前は韓国人や」と。韓国から密航してきて、大村収容所に入ったことをばらすぞ、と。これは真実なんです。韓国から密航してきたのも、在日朝鮮人を韓国に強制送還するための施設である大村収容所に入ったことがあるのも、全て真実なんです。
〈渦中の人、日本ボクシング連盟の山根明会長が本誌「週刊新潮」の取材に応じたのは8月5日。場所は大阪市内の自宅で、妻の智巳さん(51)も同席した。ホワイトグレーのスーツにティアドロップのサングラスという格好の山根会長は身振り手振りを交えながら、自らの半生を初めて明かしたのだった。〉
僕の母親は韓国人で釜山出身なんですけど、神戸で育って、神戸で女学校まで行ってます。お嬢さんでしたからね。で、日本で僕を産んだのですが、終戦の後、事情があって、父親を日本に残して、母親と一緒に釜山に渡ることになった。
でも、6歳の時に離れたもんだから、毎日、親父が恋しくて恋しくて。だから10歳の時に不法入国、密航した。魚取る小さなポンポン船にお金渡してね。でも捕まってしまって大村収容所に入れられて、釜山に強制送還された。そして、その数カ月後にまた密航して、また捕まってしまうのです。ただ、この2回目の時は、親父の人脈で、大阪の岸和田出身で郵政大臣までした、松田竹千代いう国会議員にお世話になって、保証人になってもらって収容所から出られた。その後は日本にそのまま定住しました。
〈山根会長の携帯電話の呼び出し音は映画「ゴッドファーザー」の「愛のテーマ」である。この名作映画の主人公は、少年の時に父母と兄を殺され、イタリア・シチリア島から移民船で単身、アメリカへ移住したヴィトー・コルレオーネ。山根会長の境遇とどことなく重なる部分があるが、そのことを指摘すると、アマチュアボクシング界のゴッドファーザーは、おもむろにサングラスを外し、嗚咽を漏らした。そして、溢れる涙をティッシュで拭いながら、話を続けたのである。〉
辛かったですよ、そりゃ。僕はアマチュアスポーツやってますからね。当時なんかは差別がいっぱいあった。「朝鮮人、朝鮮人」って周りに言われましたね。だけど僕は日本人になって、連盟に入りました。僕はね、日本国の日の丸大好きなんですよ。最高に愛しています。だけど同時に韓国、北朝鮮愛してます! スポーツには国境がありません。
日本に帰化してから40年近くになります。帰化する時には、ボクシングの関係で知り合った10人ほどの大学の先生に保証人になってもらいました。あと、その時に中山正暉(まさあき)いう衆議院議員の先生にもお世話になった。僕は中山先生のボディーガードも長いことしてたんですよ。推薦状などの帰化の書類は中山先生の秘書の原田さんが法務局に出してくれて、それでオーケーになりました。
〈梁石日の『血と骨』もかくやという人生はそのようにして始まったわけだが、彼の帰化に協力したという当の中山正暉元代議士は、
「原田という秘書は確かにおりましたけれど、いろんな方が来られたものですから、ちょっと分からないですね……」〉
何度も、不法入国(密航)を繰り返したというのは、管理人に言わせると、実に信憑性のある話。
これは、現代でもよくある話だから。
中国人や韓国人は、当時から、何も変わっていない。
偽名を使い、偽造パスポートを使い、あらゆる手段で、「豊かな国・日本」に出稼ぎにやってくる。
山根氏の「6歳の時に離れたもんだから、毎日、親父が恋しくて恋しくて」と、父親に会いたかったというのは、どうも胡散臭い気がする。
単に、朝鮮戦争から逃れたかったからか、出稼ぎをしたかったかの、どちらかの可能性が高い。
これを、「強制連行された!」を騒ぎ立てるヤカラもいるのが、本当に笑ってしまう。
そして、山根氏の発言で気になるのは、「母親は韓国人」と発言している点。
「父親は日本人」だと言わんばかりだが、これは引っかかる。
父親が日本人で、法律婚をしていたのなら、山根氏も日本人となるハズである(当時の法律では、父親の国籍が重要。法律上の父親が日本国籍でなければ、日本国籍の取得はできない)。
だから、「父親が日本人」という点を、仮に真実とするのなら、おそらく、山根氏は私生児(結婚してない男女の間に生まれた子・非嫡出子)なのだろう。
続き。
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4度の結婚歴
〈ここで改めて振り返っておくと、山根会長が世間の耳目を一身に集める存在となったきっかけは、7月27日、「日本ボクシングを再興する会」を名乗る集団が、日本オリンピック委員会(JOC)などに1通の告発状を提出したことだ。告発人に名を連ねたのは、各都道府県のアマチュアボクシング連盟幹部ら総勢333名。告発事実は、「アスリート助成金の不正流用の教唆及び隠蔽」「試合用グローブ等の不透明な独占販売」「公式試合における組織的な審判不正」など、十数項目にも及んだ。
「奈良判定」や「おもてなしリスト」についてワイドショーが連日取り上げる事態となる中、現役の世界チャンピオンまでもが“参戦”。ロンドン五輪男子ボクシングミドル級金メダリストでWBA世界同級王者の村田諒太(32)がフェイスブックにこう記したのだ。
〈そろそろ潔く辞めましょう、悪しき古き人間達、もうそういう時代じゃありません〉
ちなみに、村田のプロ転向に最後まで抵抗したのが山根会長。ロンドン五輪の決勝戦の際、山根会長の息子で連盟副会長の昌守氏(53)が村田のセコンドに急遽入ることになった背景には山根会長の命令があった、とも報じられた。
助成金の不正流用を認めざるを得なくなるなど、当初は“めった打ち”にされていた山根会長だったが、8月に入り、反撃に出る。新聞やテレビの取材に応じ、審判の不正判定疑惑などについて全面的に否定したのだ。特に、観る者に衝撃を与えたのが、3日放送の日テレ系「スッキリ」だ。ヤクザ顔負けの出で立ちで現れた山根会長は独特の口調で「カリスマ山根って言われてる」と自らについて評し、村田については「生意気だよ」と吐き捨て、生放送にもかかわらず、実際に存在した山口組系暴力団組織の実名を口にするなど、放送事故寸前の番組となったのだ。だが、山根会長にとって、この生出演はどちらかと言えばプラスに働いた。何しろ、あまりに強烈なキャラクターに注目が集まったおかげで、告発の細かい内容が霞んでしまったのだから――。
山根会長が連盟の会長に就任したのは2011年である。連盟に関わるようになったのは1976年頃だったという。それでは一体、彼はどのような人生を歩んだ後に連盟に関わるようになったのか。山根会長がその「空白期間」について詳細に明かすのは、今回が初めてだ。〉
ボクシングとの関わりは、そもそも、親父がボクサー上がりですからね。親父は戦後、大阪の堺市のボクシングジムのオーナーをやっていまして、僕は10歳の時に密航で日本に戻って、12歳から本格的にボクシングを始めました。
結婚歴は、籍を入れてないのも含めると4回。最初の嫁さんは今里の塗装会社の娘さんだった。金融とか不動産とかも扱う会社のお嬢さんだったね。息子の昌守はこの最初の奥さんとの間にできた子供です。23歳の時から同棲して、25歳で結婚して6年間嫁さんの実家で暮らしてから離婚しました。その期間は、嫁さんの実家の塗装会社の工場で働いていたのですが、その後は、ずっとボクシングボクシングで、いつも奥さんに面倒を見てもらっていた。
連盟に関わる前、僕は近畿アマチュアボクシング連盟と韓国との交流の橋渡しをやっていました。僕がアニキと慕っている親族が韓国アマチュアボクシング連盟の副会長で、釜山連盟の会長をやっとった関係で、日韓のことを全部サポートさせていただいた。具体的には、近畿チームが韓国に行く時に僕が同行して面倒を見る。韓国チームが日本に来た時には、案内役から運転手から買い物まで、何でもこなしていました。
2番目の奥さんには、もう、迷惑どころの騒ぎじゃないくらい迷惑かけましたね、ボクシングで。帰化したのもこの奥さんの時で、今、僕が名乗っている山根という姓はこの奥さんの姓なのです。最初の奥さんと離婚して家出た時、息子はまだ5歳でね。行くところがないので、6カ月間、息子と2人で車の中で寝起きしてました。それから、後に2番目の奥さんになる彼女のアパートに行って、無理を言って息子と一緒に寝かしてもらうようになった。
朝鮮人の特徴の1つである「ゴリ押し」が、よく出ている。
そして、ロンドン五輪の決勝で、突然、セコンドに、縁もゆかりもない人が入るなど、信じられない。
次。
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「最後の女ダカラ」
2番目の奥さんとは31歳の頃に結婚して、20年近く一緒におりましたかね。結婚してから、彼女は、大阪の西中島のマンションの1階で喫茶店を始めました。ただ、僕があんまりにも金持ち出すんで、途中からはスナックもやり出した。
とにかく、僕が海外遠征するたびに金を持ち出すもんやさかい、ある時、「ボクシングをやめてくれ」と言われてね。「私も年取ったら生活していかんならんから」って。そしたら息子がね、「親父に道楽させてくれ。年取ったら俺が全部面倒見るから。親父の思い通りにさせてやってくれ」と言ってくれてね。でも、そんなやり取りを十数年も続けていたある時、海外から帰ってきたら店も荷物もなくなってて、本人も行方不明になってしまった。
3番目の奥さんとは籍は入れませんでしたが、20年くらいは一緒に住みましたかね。ただ、その間は息子からお金を貰ってボクシング関係をしていました。アマチュアボクシングは息子なしではできなかった。サラ金からの借金も2億円くらいありましたけど、息子が全部整理してくれました。
〈山根家の関係者が言う。
「1997年頃から現在までの約20年間、山根会長の金銭面などの面倒を見てきたのは、息子の昌守氏です。彼は17歳の時に家を出て、20代で自動車販売会社を立ち上げて成功し、金があった。その彼が電気、ガス、水道はもちろん、毎月10万円を山根会長に渡し、奥さんにも、その都度、数十万円を出してあげたりしていた。昌守氏は親の七光で連盟の副会長をやっているように報道されていますが実態は逆で、息子のほうが父親の面倒を見てきたのです」
2番目の奥さんが出奔して途方にくれていた山根会長に大阪・十三(じゅうそう)のマンションを買い与えて住まわせたのも昌守氏で、
「父親が連盟の会長に就任した後は、2千万円で十三に一軒家を建ててあげ、700万円のロレックスや、同じく700万円のマイクロバスの他、ベンツもプレゼントしている。ただ、山根会長の4番目の奥さんは今里新地で韓国クラブを経営していて金があるため、昌守氏に金を無心することはない」(同)
今回、取材に同席した4番目の妻の智巳さんは山根会長への思いを、決して流暢ではない日本語でこう語った。
「はじめは会長、私に同情の気持ちで、女を助けてあげたいと思とる気持ちだったんですけど、それがだんだん愛に変わったということデスネ。私は山根明会長を最後まで守る、最後の女ダカラ。この男はカネもない、歳もいってはる、でも私が見てきたこの世の中の男の中で、一番、男の中の男だと思っています。こういう人こそ支えてあげたい、最後まで」〉
この人(智巳さん)と結婚してからも、40歳と46歳の彼女がおって、ずっと関係あったんですよ。
男は口じゃないです。やっぱり心でおったら自然と惚れてくれるんです。僕は飲み屋に行って女性をさすったことありません。相手側から食事と言われても、自分から手も握ったりそういうこともしてませんから。
自分で稼がず、女や息子にタカって生きてきた、ヒモ(ヤクザ)であることが分かる。
次。
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“殺しの軍団”との縁
今回、僕がテレビに出演したのは、脅迫されたから、というのは先程触れたけど、脅迫の電話は今の奥さんが経営しているお店のチーママにかかってきた。「山根に言っとけ、お前、山根に許さん言っとけ」と。
脅迫してきた森田組元組長と出会ったのは僕が19歳くらいの時やったと思います。僕は若い時分、結構ヤンチャでしたから、大阪の玉造(たまつくり)の商店街で1人で6人相手に殴り合いのケンカをしている時、仲裁に入ってくれた人がいてね。その人に森田を紹介されたんですよ。
山口組の“殺しの軍団”と恐れられた「柳川組」の柳川次郎組長にお世話になったのも、まだ僕が20歳になる前でしたね。大阪の天王寺区の小橋(おばせ)いうところの公園で大人2人を相手にケンカしてる時にたまたま柳川さんが通りかかって、「こらぁーっ、お前らなんや、大人が子供相手に2対1でケンカするんか」って言って助けてもらった。その後、人に頼まれて、ボクシング連盟の奈良の組織作りに関わるようになった時、柳川組の関係者が入り込んでいることが分かった。柳川次郎さんにお願いしたら、その人は辞めてくれました。
だいたい、僕のヤクザ関係ばかり批判されて大悪人にされてますけど、告発者側の裏にいる人物もヤクザと深い関わりを持っていますよ。澤谷廣典(ひろのり)いう男で、去年まで近畿大学ボクシング部の総監督を務めとったんですが、コーチを相手に暴力事件を起こしたんで僕が辞めさせました。それで逆恨みして今回の告発の絵図を描いとるんです。この男は山健組の傘下組織の組員みたいなもんで、指はないし、刺青も入っとる。2006年には金銭トラブルの相手を監禁したとして逮捕されていますよ。
〈当の澤谷氏に事実関係を確認したところ、山健組の傘下組織に出入りしていたこと、小指が欠損していること、「タトゥー程度」の刺青があること、そして、監禁事件で逮捕された事実とコーチへの暴力行為も認めた。
告発する側とされる側が互いの過去を暴露し合う――。今回の騒動には権力闘争の側面も透けて見えるのだ。〉
僕はメディアの取材受ける時に言ってるんです。あんたらおかしいんちゃうか、と。澤谷みたいな前科モンが裏で糸引いとるグループの主張をなんで垂れ流すんや、と。彼らは何としてでも僕を追い出したいんでしょうけど、それは10年、100年かかってもできません。私は会長を辞めるつもりは一切ない。悪いこと何もしてませんから。
「週刊新潮」2018年8月16・23日号 掲載
新潮社
「僕は若い時分、結構ヤンチャでした」とあるが、この言葉は、真実を見えにくくする。
単に、「暴力をふるう人物だった」というだけである。
真実を見えにくくする言葉といえば、「いじめ」もそう。
いじめは、単に「暴行・傷害」である。
まあ、いずれにせよ、気分の悪い事件である。
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内容紹介
北も南も破綻して日本列島に難民が押し寄せる!米国の威嚇、国際的な批判にも動じることなくミサイルを撃ち続ける北朝鮮。
半島情勢が緊迫するなか、ソウルの市バスの中にまで慰安婦像を設置して反日に奔る韓国。
われわれ日本人の理解を超えた半島人の行動の根底には、中世も近代も持ちえなかった民族の〝悲劇〟があります。
長年、朝鮮半島の歴史を研究し続けてきた著者・筑波大教授の古田博司氏が、韓国・北朝鮮という国家の特殊性と品性を地理的・歴史的に明らかにし、日本は「助けず、教えず、関わらず」の非韓三原則で対処すべしと提唱。
予断を許さない状況の下で緊急出版するのが本書です。ご一読のうえ、ご講評たまわれば幸いです。韓国人は平気でウソをつく! 北も南も見栄っぱり!
全員が卑劣だから、「卑劣」の意味が理解できない。
「法治」もない。愛国心もない。
あるのは憎悪の反日ナショナリズムだけだ!
出版社からのコメント
本書は、弊社より2014年3月に発行された『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国! 』に新たに、まえがき、第1章等を加え、改題・改訂した新版です。
内容(「BOOK」データベースより)
韓国人は平気でウソをつく!北も南も見栄っぱり!「卑劣」の意味が理解できない。「法治」もない。あるのは憎悪の反日ナショナリズムだけだ!「助けず、教えず、関わらず」非韓三原則で対処せよ!
著者について
古田博司(ふるた・ひろし)筑波大学人文社会科学研究科教授。1953年、神奈川県横浜市生まれ。
慶應義塾大学文学部史学科卒業。同大学大学院文学研究科東洋史専攻修士課程修了。著書に『悲しみに笑う韓国人』『朝鮮民族を読み解く』『新しい神の国』『日本文明圏の覚醒』『「紙の本」はかく語りき』『ヨーロッパ思想を読み解く──何が近代科学を生んだか』(以上、筑摩書房)、『東アジアの思想風景』(岩波書店)、『東アジア「反日」トライアングル』(文春新書)、『東アジア・イデオロギーを超えて』(新書館)など多数。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
古田/博司
筑波大学人文社会科学研究科教授。1953年、神奈川県横浜市生まれ。慶應義塾大学文学部史学科卒業。同大学大学院文学研究科東洋史専攻修士課程修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)