満州引揚時のレイプについて。日本人女性の壮絶な体験。
先日、TBSの『NEWS23』でも取り上げられていた満州引揚時の強姦(レイプ)の話(女優の綾瀬はるかがレポーター?となっていた)。
NEWS23の駒田アナウンサーも、今回紹介する記事中でも、「今まで知られていなかった~」とあるが、それは勉強不足なだけ。
本を読まずとも、戦争関連の映画やドラマを見ただけでも、よく出てくる。
駒田アナウンサーに当てつけると、TBS制作のテレビドラマ『レッドクロス〜女たちの赤紙〜』(主演:松嶋菜々子)なんかでも、ソ連兵に連れていかれ、レイプされたことが分かる日本人看護婦の描写があった。
ホームページへのリンク。
TBSテレビ60周年特別企画『レッドクロス 〜女たちの赤紙〜』| TBSテレビ
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このように、前から、ちょくちょくあった。
最近だけでも、他にテレビ放送もあったし、週刊誌の記事にもなっていた。
リンクを貼る。
「第11回日本放送文化大賞テレビグランプリ」を受賞した番組。
奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~ | KRY山口放送
この番組を、かなり詳細に紹介したブログ。オススメである。
「奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~。「特殊婦人・二日市保養所」とは 前半 【NNNドキュメント'16】: テレビにだまされないぞぉⅡ
現代ビジネスの記事。
ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白(平井 美帆) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
当方のブログでも、簡単に紹介している。
imin-nanmin-gaikokujin.hatenablog.jp
NHKのネットニュース記事は、すぐ消去されてしまうので、早めにリンク先に行ってほしい。
以下、記事の赤字・太字は管理人による。なお、元々太字だった部分は、アンダーラインで表示した。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0815.html
終戦 性暴力 語り始めた女性たち
2018年8月15日 13時00分
終戦から73回目の夏を迎えました。日本人だけで310万人が犠牲になった先の大戦では、戦争が終わったあとも、女性たちに大きな苦しみをもたらしました。終戦直後、旧満州や朝鮮半島から祖国を目指し、引き揚げてきた女性たち。その中には、性的暴行を受けて妊娠したまま日本にたどり着き、当時違法だった中絶手術をひそかに受けた人も数多くいました。これまであまり伝えられてこなかった女性たちの苦しみを後世に伝えようと、語り始めた人たちがいます。(社会部記者 小林さやか)
水子供養祭に参列する女性
福岡県筑紫野市で毎年5月に行われている水子供養祭。かつてこの場所で、大陸からの引き揚げの途中、暴行を受け、妊娠した女性たちの中絶手術が行われていました。
ことしの供養祭に、特別の思いで参列した女性がいました。神奈川県から訪れた鈴木政子さん(83)です。
鈴木さんも72年前、旧満州から博多港に引き揚げてきました。当時11歳だった鈴木さん。引き揚げの途中で弟や妹4人を亡くし、みずからも飢えに苦しみました。
それだけでなく、幼かった鈴木さんが目撃したのは、ソ連兵から周囲の女性に加えられた性的暴行でした。
女性を連れて行き、5、6人で連姦する。皆の目の前で暴行は行われました。その女性の子どももいました。(鈴木さん)
大陸での性被害の実態
旧ソ連参戦 1945年8月ごろ
ソ連兵や現地の男性は、祖国に引き揚げようとする日本人女性に対し、性的暴行を繰り返しました。
女性の中には、暴行を受けた末に妊娠し、日本にたどり着いた女性も数多くいました。当時、富国強兵の施策のもと、中絶手術は原則違法。大きなおなかをかかえて故郷に戻ることはできないと、祖国を目前に海に身を投げた女性さえいたといいます。
国が命じた中絶手術
取材を進めると、国が秘密裏に中絶手術を指示していたと指摘する資料にたどり着きました。
日経メディカル 1987年8月10日号「国が命じた妊娠中絶」
九州大学の当時の医局長が、国から受けた指示の内容を記した文章が残されています。この中で、国の思惑は、ソ連兵の子どもの出産を水際で食い止めることにあったと指摘しています。
さらに、海外の研究者が発表したほかの論文(昭和28年)では、当時の厚生大臣や占領軍が関わったことも示唆されていました。
「日本にはソ連兵の赤ちゃんはいらない」
『日本産児計画情報 昭和28年』Flora Himmelfeld著
101歳の医師 初めての告白
国の指示で中絶手術に関わった医師が、初めて取材に応じてくれました。九州大学の産婦人科医だった昇勇夫さん(101)です。
昭和21年から翌年にかけて、佐賀県内の療養所で中絶手術を行ったと告白しました。昇さんは「国が負けておいて、犠牲になったのは女性でしょう。中絶が禁止されているのは承知のうえで、罪をかぶってでも女性たちを助けたいという気持ちが先にあった」と語りました。
当時は、手術に必要な器具や麻酔薬もなく、妊娠後期の女性の手術は困難をきわめたといいます。事実上、出産した赤ちゃんを殺すことに近い手術。
手術を受けた女性たちだけでなく、医師たちの心にも深い傷を残し、昇さんは、家族にさえこの事を話してきませんでした。
800人以上が手術か
九州大学のほかに、今のソウルにあった京城大学から引き揚げた医師たちも、人道的な観点から女性を助けたいと福岡県筑紫野市にあった施設で、中絶手術を行っていました。二日市保養所
ある医師の調査では、手術を受けた女性は、合わせて少なくとも800人に上ると推定されています。当時のカルテなどはほとんど残されず、わずかな手がかりは医師たちの証言。
一方で、女性たちみずからが被害を語ることはなく、女性たちの本当の苦しみは、伝えられないまま埋もれようとしていました。
語り始めた女性
保養所の跡地で行われた水子供養祭に参列した鈴木政子さん。最近になって、かつて目撃した性的暴行について詳細に語るようになりました。きっかけは、ともに引き揚げ、姉のように慕ってきたゆう子さん(仮名)からの告白でした。暴行を受け、この場所で中絶手術を受けたゆう子さん。亡くなる数年前に、長年隠し続けた性被害を、鈴木さんに打ち明けたといいます。
ゆう子さんは『私も言わなきゃね。言おう、もういいよね』と言いました。私は、それを聞いて『真実だから、書いて記録に残さなければならない』と思ったんです。(鈴木さん)
被害の事実を後世に
鈴木さんは、ゆう子さんから聞き取った内容を一冊の本にまとめました。暴行による望まない妊娠であっても、自分の体の中で育っていく命に愛着も覚える、葛藤。これまで語られてこなかった女性たちの心情を克明につづりました。
「きっと青い眼の子だろう」 「でも半分は私の血を受け継いで、こうして動いている」 「どうしたらいいのだろう」(本からの抜粋)
お腹の中の子は動くでしょ。それなのに抹殺しなければならない。強姦された子どもでも、自分の一部。半分は自分でしょ。だから自分を捨てるような感じだったのでしょう。(鈴木さん)
「耳の底に残っている赤ちゃんの産声」 「謝っても謝っても涙が止まらない」(本からの抜粋)
若い世代に伝えたい
鈴木さんは、ゆう子さんから譲り受けたこけし人形を、中絶した赤ちゃんを埋めたとされる場所に供えて祈りを捧げました。
ゆう子さんが「中絶した子どもの身代わりに」と生涯大切にしていたものです。
性被害を受け、戦後を生き抜くために、痛みに耐えて手術を受けた女性たち。さらに子どもの命を奪った罪悪感を抱え、何重もの苦しみを、胸の奥に抱え続けていたのです。
なかったことにはできない。戦争が原因でこんなことも起きるんです。こんな苦しみを味わった人がいたのよっていうことを多くの人たちに知ってほしいですね。(鈴木さん)
私が鈴木さんの貴重な証言をニュース番組の中で伝えたのはことし5月。その後、鈴木さんのもとには講演の依頼などが相次ぎ、若い世代に語る機会が増えたということです。「1つの歴史として若い世代が認識してくれた」 鈴木さんは手応えを感じているといいます。
女性たちは性被害について語ることはなく、被害の補償もありませんでした。戦争は、戦場に行った男性はもとより、一般市民にも凄惨(せいさん)な被害をもたらします。
先の大戦では、ソ連兵だけでなく、国内で進駐軍による性被害もありました。また、旧日本軍による現地女性への加害があったという証言も残されています。
こうした状況は、過去の話ではありません。ミャンマー軍によるロヒンギャの女性への性暴力、過激派組織IS=イスラミックステートによるものなど、世界の紛争現場では、今も女性が被害を受け続けています。
終戦から73年。戦争のない世の中を次世代の子どもたちに残すために、今ようやく語り始めた女性たちの声を受け止め、向き合っていかなければならないと強く感じています。
社会部記者
小林 さやか
記事中に、「800人以上が手術か」とあるが、凄まじい数である。
単に1保養所で(他にも保養所はあった)、800人以上が妊娠していたとなると、妊娠の確率(若い女性で確率は3割程度であるし、妊娠できない幼女から老婆までレイプされている)から考えて、いったい何万人~何十万人の女性がレイプされたのだろうか。
確か、俳優の宝田明の母も、満州の自宅で、家族全員がいる隣の部屋で、ソ連兵にレイプされたという話を読んだ?聞いた?ことがある。
ソ連兵ばかり書かれているが、中国人や朝鮮人による強姦も激しかった。
単純に襲い掛かってくるだけでなく、朝鮮半島を南下中に、「ここを通りたければ、女性を差し出せ」なんてことも、よくあったようだ。
この手のテレビ番組や本を読むと、本当にムチャクチャで、気分が悪くなる。
集団自決したり、途中で力尽きて死んだり、日本を目前にしながら、汚れた身体に悩んで入水自殺したり・・・現地に取り残されて、壮絶な人生を送った人もかなり多いようだ。
満州だけでなく、サハリンでの残留日本人の話もある。
☆☆☆
ちなみに、記事にもあるように、日本国内では、アメリカ兵のレイプ事件のオンパレードである。
みんなが見ている前でのレイプも、頻繁にあったようだ。
アメリカ兵は、武器を持っているから、誰も手出しができなかったらしい。
混乱に乗じた在日の朝鮮人によるレイプも多かったようだ(※ ここらへんの文章で、「~ようだ」「~らしい」を多用してしまった。戦争体験者の手記など、適宜みなさんで調べてほしい。)
そして、戦後、急遽設置されたアメリカ兵相手の慰安所も上手く機能せず、結局、パンパンと呼ばれた日本人売春婦が、最大40万人くらい発生している。
これが、戦争に負けるということだろう。
ちなみに、まあ、知らない人はいないと思うが、韓国の慰安婦は、単なる売春婦である。「強制的に~」とか騒いでいるヤツラは、単に、貧しかった親に売られただけなのだ。
☆☆☆
満州引揚の本は、そこそこある。
有名なのは、これだろう。朝鮮人が襲ってくる話も載っている。これに、朝鮮人どもがイチャモンをつけていたらしい。
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内容紹介
1986 年にアメリカで刊行後、数々の賞を受賞。
中学校の教材として採択された感動秘話。
邦訳が熱望されていた名著、待望の日本語版
大戦末期のある夜、小学生の擁子(ようこ・11歳)は「ソ連軍がやってくる」とたたき起こされ、母と姉・好(こう・16 歳)との決死の朝鮮半島逃避行が始まる。欠乏する食糧、同胞が倒れゆく中、抗日パルチザンの執拗な追跡や容赦ない襲撃、民間人の心ない暴行もかいくぐり、祖国日本をめざす。
終戦前後の朝鮮半島と日本で、日本人引き揚げ者が味わった壮絶な体験を赤裸々に綴る、息もつかせぬ、愛と涙のサバイバルストーリー
一応、今回の記事中で紹介されている本も紹介しておく。
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内容紹介
旧満州関係のことは三冊ほど書いていますが、諸事情があり、憶いのすべてを文章にはできませんでした。戦後七二年が経過し、「おれたちの分も生きるんだぞ」と言い遺し、多くの先輩が亡くなられました。私の寿命も「神のみぞ知る」時期にきております。みなさんも、きっと許してくださると信じ、今後の平和を祈りながら、新たな調査、聞き書きをも含めて、改めて綴りました。
出版社からのコメント
※タイトル・定価・発売日は変更になる場合がございます。(2017/10/4時) ※発売日が遅くなります。(2017/11/16時)
著者について
鈴木 政子(スズキ マサコ)
出生:1934年福島県喜多方市
学歴:実践女子大学国文学科卒業
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
鈴木/政子
1934年福島県喜多方市生まれ。実践女子大学国文学科卒業。編集者、会社員(舎監)、教員、自営業(書店)を経て、文章づくり、自分史づくりの講師をつとめる。著書に『舎監せんせい』(出版フォーラム優秀賞)、『わたしの赤ちゃん』(北九州市自分史文学賞大賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)